記憶寿命
失礼ながら20年日本を離れて居る私にとって岡江久美子さんはあまり馴染みがない。志村けんさんはカトちゃん全盛期から主役を奪っていく時期をライブで見ていたので記憶に深い。
親父が死んでまもなく10年を迎えるる。母にとっては未だにどこそこに親父の存在を感じるようだ。私の記憶は大きな問題を起こした時の父の寡黙な対応と、日曜日の夕方笑点を見ながらビール片手におばいけを食べる日常の姿に二分される。
孤立無援の人が無人島に1人で渡り、世の中でその人の記憶を持つ人が居なくなれば物理的な生死は意味をなさなくなるのではないか?
そもそも、人がそこに存在する、生きているというのは、関わる人達の記憶の集合体なのだろう。
今、人々は強制的に関わりを制限されて居る。肉体の寿命を守る為に、記憶の寿命が消耗すれば元も子もない。
いささか難しい状態の中でも記憶に残るように変な事をして生きたいものだ。