鴨周 - Aduck’s blog

日本の事、インドネシアの事思いつくままに

海外赴任を通してジェンダーについて再び考える。

台湾に赴任した時

約23年前初めて台湾に赴任した時思ったのが共働きの多さでした。街中を歩いているととても恵まれた環境とは思えない、民家(といっても戸建ではなくビルの1階など)に作られた保育所の様なところの子供たちが詰め込まれていました。共働きの多い台湾ではこのような施設が子供たちの受け入れ先になってたのでしょう。また、街中ではフィリピン人らしき外国人がベビーカーを押しながら、夫婦は悠々自適にお買い物をする姿もよく見かけました。裕福な家庭は、外国人のベビーシッターを雇って家事全般もやらせていたのでしょう。

 

シンガポールに赴任した時

その後、シンガポールに異動したら、やはり同じような光景を目にしました。シンガポールでは、インドネシア人の家政婦が多かったように思います。街中で激しく叱られているような光景も見たし、家政婦への虐待の問題もメディアで取りざたされていました。日本人としては、家政婦と言いながら奴隷制度を彷彿させる感がありました。

 

インドネシアに赴任した時

そして、インドネシアに赴任すると家族帯同者でもかなりの人がインドネシア人の家政婦を雇っていました。これは、子供の為のお迎え等、治安の悪い国で親がひと手間かけないといけないのでそれを補っている面と、持てる者が低所得者を経済的に支える文化的な理由が有ったと思います。

※実は背景に、中卒以下だとコンビニの店員にすらなれない学歴社会の問題が有り、飲食の店員や、家政婦などしかできない層が一定数存在します。

それでも、日本人の中では、家に他人を入れたくないと言う人も少なくなく全て自分でやっている人も多くいました。

 

以下の2つの記事のフィリピンに対する記述を読み比べてみると、

 

style.nikkei.com

 

dev-media.blogspot.com

 

この二つの記事の違いは、視点が富裕層から見た目線か、低所得者層から見た目線かではないかと思います。日経の記事は、家事を外注化して女性が外で立派な仕事をする事を示しています。そして、開発メディアの方は外注化される側の女性が描かれています。そして、外注化される側の女性は、「自分でやらないと『駄目な親』」どころか、他人の家の面倒も見た上で自分の家の家事もやらされると言った社会分業のひずみのしわ寄せが乗っかって重労働を強いられている状況です。

 

なんでも自分でやる文化と外注化文化の違い

 先に述べた、日本人駐在員の話で「他人を家にあげたくない」と言った話をしましたが、やはり日本人には家文化が潜在的に残っており、家に外国人を住まわせて外注化すると言うのは、例外はありますが大多数の人が難しい選択ではないかと思います。

 

 日本でジェンダー問題を考える上で必要なのは、社会的な業務(家事、育児を含む)の平等な分担が鍵だと思います。男女双方が望む事を選択でき、望まない事を均等に分担する、それに応じて義務も分担する。その中で、専業主婦を選択した人をさげすむような風潮は良くないと思うし、自分でやりたいから外で働いて家事もすると言う選択も責められるべきではありません。

但し、大前提があります。このような考えは、ある程度の収入が無ければ成しえない事だと言う現実です。ジェンダー問題を解消する上で、もう一つの重要な事は、国民全体が裕福になると言う事です。日経の記事が拾いそこなった現実を、開発メディアの記事が補っているように感じました。

 

昭和の典型的な家庭は、男性が家庭の収入に責任を持ち、女性が家庭を守ると言う構図で業務と義務の分担のバランスを取っていました。その後、その分担の構造を変える過程で、女性が外で働いて家事もするような偏りが起きています。もちろんそれを望んでいるならそれでよいのですが、政府や社会はそこを公平にする施策が必要になっていると思います。

 

なんか、偉そうな論表になってしまって、しかも具体性のないお話でした。もう少し、自分の中で考えを練って、またブログを掲載したいと思います。