言葉を発する権利が奪われる。
自粛大国日本で求められるのは、
- 傷つける前に、言わない事
- 言われる前に、言わない事
- 指摘されないように、言葉を使う事
本来どんな考えでも口に出すべきだ。
差別は良くないが、例えば差別を議論する上で差別的な言葉を例に出せなければ伝わらない。
良い意見、悪い意見、言ってはいけない事、言って良い事、すべてが受け取る人の主体に委ねられる。
言ってみなければ、何が良い言葉なのか悪い言葉なのかわからないのだ。
意見を表現する媒体が本や新聞であった時代は、そもそも構成がしっかりしている物を更に編集者がチェックした後に出版する、いわば完成品であった。それが、テレビと共に軽薄化し、生放送はその場で起きる臨場感を楽しませるようになった。失言と言うものが増えた。ネット社会は、テレビの即時性がありながら文字や映像として永遠に残る媒体なのだ。一度ネットに上がると完全に消すのは相当に難しい。
言論に対する批判は、タイマン勝負であるべきだ。1人の言葉に対し、10人が誹謗中傷を書き込む。それに1000人がイイねをすると、1000人の圧力を受けることになる。そもそも10人に反論するだけでも大変なのにだ。
言葉の自粛ができない人にも、コロナの自粛と同じような圧力がかかっている。失言に対してそれに言い訳や反論をしてもまともに取り扱われず、批判だけが拡散していく。
ネット上で誹謗中傷に合い、精神を病んでしまう。そんな事が起きている。
そして、そんな目に合わないためにみんな自粛するのだろう。
日本には習近平はいらないのだ。
因みに、私のように誰もフォローしないブログを書いている間は、誹謗中傷に合う事はない。ただ、あまりにも読まれてないので寂しいだけだ。